<最終回> 絆、縁起
一心敬礼
時下霜月秋冷の候。残菊の一輪に刹那を感じる季節となりました。あと幾日ともなれば臘八を迎えますが、皆様におかれましてはご機嫌麗しく、益々ご健勝のことと拝察致します。
さて、半年の長きにわたり御拝読頂きました釈正輪のコラムも、いよいよ今回をもって終了となりました。徒然に書かせて頂きました拙い内容ではございましたが、読者の皆様には最後までお付き合いくださいましたこと、誠に嬉しく感謝申しあげます。
振り返れば半年前の6月、縁(えにし)深き岡埜栄泉総本家六代目若旦那よりコラムを依頼されたのが始まりでした。そのとき頂きました授題は「絆」でした。六代目が何故「絆」という言葉をお選びになられたのか、ご本人は何も語られず、私しも尋ねませんでしたが、以心伝心、私には六代目のお気持ちが手に取るようにわかりました。昨今、増々希薄になっていく、人と人との繋がりに六代目は警鐘を鳴らされようとしたのです。「絆」それは私たち日本人のみならず全ての生きとし往けるものの根幹をなす「和」の精神に他なりません。
一般に絆と申しますと、゛親子の絆゛兄弟の絆゛夫婦の絆゛家族の絆゛或は゛友情の絆゛師弟の絆゛等ございますが、実はもっと深い゛真理の絆゛が存在するのです。
全て「宇宙」は「縁」と「宿命」の「縁起」がこの世を動かしている。この言葉は、今から約2670年前、北インド、今のネパールで生誕した釈迦(仏陀=覚者)が「悟」の境地から得た真髄ですが、この世の現実「無常」を直視した先に垣間見た仏陀の深遠なる境地といってもよいでしょう。
仏陀はこの真髄を「真理の言葉」として下記のように表現なされました。「この世の中はどんなものでも、必ず繋がりを持っているのだよ。そしてこの世の中は助け合ってできているのだ。おまえたちが何かに情けをかけてやれば、何かはおまえたちを助けてくれるであろう。よく聞くがよい。この世にはよくも悪くも特別な存在はないのだ。みな(因縁)により、自然に生まれ、自然に生き死んでいく。どんな生きものも自然界での役割を担い、この世に存在する意味を持って生まれ生きていくのだ。自分のことだけを考えてはいけない。自分以外のものに役立つことを考えなけれいけないよ。」
更に仏陀は言う「この世の苦しみにはかならず原因がある。その原因を知れば苦しみをとめる方法がわかる。それで心を救い安らかにできるのだ。」と…つまり生きとし往ける全ての命には、過去から現在、そして未来へと脈々と繋がる「魂」の絆があるということなのです。しかもその絆は人間だけでなく、遍く宇宙全ての存在と相互に関係しあっているのです。
人と人、自然界との絆は素晴らしいと思います。しかし憎しみや恨みの絆は他人だけでなく、自身を最も不幸にしてしまいます。本当の幸せとは、互いを思いやる暖かい気持ちと、それを行動する絆にあります。どうか皆様には幸多からんことを祈念し、最後に釈迦のメッセージを贈ります。
「人はただ愛によってのみ憎しみを越えることができる。憎しみをもって憎しみを越えることはできない」(法句経第五)
合掌
釈 正輪 九拜
釈正輪老師のプロフィール
1959年愛知県一宮市生まれ。正眼短期大学宗教学部禅学科卒業、佛教大学文学部佛教学科中退。梶浦逸外(かじうらいつがい)「臨済宗妙心寺派官長・正眼寺住職師家・正眼短期大学学長」、大森曹玄(おおもりそうげん)「高歩院住職・花園大学学長・鉄舟会師家」、黒田武志(くろだぶし)「横浜善光寺開山・留学育英僧会会長」、李西蓊大宗正(りさいおう)「曹渓宗白羊寺官長・高麗寺官長」の四大老師に師事、禅(臨済宗・曹洞宗)・真言・天台の三宗を兼学する。中部の霊峰高賀山で「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)を達成、大阿闍梨(だいあじゃり)となり、密教の荒行「入水往生」(じゅすいおうじょう)並びに山岳回峰「六社巡り」を復興、25年間に渡り継続する。しかし形骸化した僧界に疑問を抱き、普遍的根源を求め、世界宗教の聖地巡礼を行う。中でもヨルダン川での洗礼や、イスラームの聖地、マッカ大巡礼は偉業と言われている。更に、マザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に 触れたことが、宗教活動に大きな変化をもたらした。世界の皇室関係者や国家元首をはじめ、宗教指導者との交流も深く、特にスリランカ大菩提会会長バナガラ・ウパテッサ大僧上とは旧友の仲である。高校で教鞭をとり、天台寺門宗本山布教師等を経る。日本国並び日本人の生き方を提唱、再認識し実践とする日本大僧伽(やまとだいさんが)主宰。教育施設MAO塾経営。社団法人EARTHIST特別顧問。NPO希望塾相談役。国際地球環境大学(シンクタンク)文学博士・仏教学名誉博士。