<第1回>人の和、日本の輪
一心敬礼
皐月の一輪が清風に薫るころとなりました。皆様初めまして、私は 釈正輪と申します僧侶でございます。以前より岡埜栄泉六代目であられます岡野大介様と御縁を賜り、この度「和の文化日本を知る。」全般についての、一筆啓上させて頂くはこびとなりました。日本に生まれ、日本に生きる私たち日本人が、我が祖国「日本」をもっと、もっと、知って頂きたく、筆を執らせて頂きました。皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。
合掌 釈 正輪 九 拜
はじめに
現代の日本国は羅針盤無き漆黒の闇を彷徨しております。いにしえより陸続と継承されてきた日本民族特有の東洋イズムともいうべき「和」の文化は、見事なバランス感覚でありました。しかし、戦後(第二次世界大戦)民主化という西洋イズムを急激に授受した弊害が、昨今重くのしかかってきています。私たちの祖国「日本」は、東洋文化と西洋文化を「和」の精神で混然熟成させ、新たな文化を構築してまいりました。
そこで六回シリーズを以って「日本」について述べさせて頂きます。さて、そもそも私たち日本人とは「何もの」でありましょうか、そして「日本国」とはどのような国なのでしょうか。些か抽象過ぎますが、皆様ははこの国について、深く考察したことがありますか。日本史のおさらいではありませんが、もう一度我が祖国「日本」を御一緒に探究してみましょう。
和菓子と日本文化
日本人なら誰もが一度は口にする和菓子。洋菓子と違って、ほんのりまろやかな味に、大人は疎か、幼児子供までが舌鼓する「味」とは何でしょうか。一般に和菓子といっても数々あります。8世紀の初め、遣唐使によって伝来したお菓子(唐菓子)や、安土桃山時代、宣教師によってもたらされた南蛮菓子等もあります。和菓子の名称は、江戸時代にヨーロッパから入ってきた洋菓子に対して使われる言葉であります。抹茶席において、薄茶では干菓子、濃茶は生菓子(主菓子)を戴きますが、何れも和三盆(黒砂糖のサトウキビ)を使用致します。白砂糖が手に入らない江戸時代まで、その独特の風味と程よい甘さは、花鳥風月雪月花の日本の四季観を醸し出すのに深く貢献致しています。
日本文化は和らぎの文化であり、日本国以外の他国は、もの事全般がはっきりしており、それは食文化にも如実に表れています。極端に甘くもなく辛くもなく、頃合いの味を好む日本人は、中間(偏らない真ん中)に美徳を偲び、なんごとも受け入れ、控えめな独自の文化風習を歴史的に構築してきました。それは日本という地の利、列島に民族が住み着き、必然的に生み出した正に「和」に他なりません。
釈正輪老師のプロフィール
1959年愛知県一宮市生まれ。正眼短期大学宗教学部禅学科卒業、佛教大学文学部佛教学科中退。梶浦逸外(かじうらいつがい)「臨済宗妙心寺派官長・正眼寺住職師家・正眼短期大学学長」、大森曹玄(おおもりそうげん)「高歩院住職・花園大学学長・鉄舟会師家」、黒田武志(くろだぶし)「横浜善光寺開山・留学育英僧会会長」、李西蓊大宗正(りさいおう)「曹渓宗白羊寺官長・高麗寺官長」の四大老師に師事、禅(臨済宗・曹洞宗)・真言・天台の三宗を兼学する。中部の霊峰高賀山で「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)を達成、大阿闍梨(だいあじゃり)となり、密教の荒行「入水往生」(じゅすいおうじょう)並びに山岳回峰「六社巡り」を復興、25年間に渡り継続する。しかし形骸化した僧界に疑問を抱き、普遍的根源を求め、世界宗教の聖地巡礼を行う。中でもヨルダン川での洗礼や、イスラームの聖地、マッカ大巡礼は偉業と言われている。更に、マザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に 触れたことが、宗教活動に大きな変化をもたらした。世界の皇室関係者や国家元首をはじめ、宗教指導者との交流も深く、特にスリランカ大菩提会会長バナガラ・ウパテッサ大僧上とは旧友の仲である。高校で教鞭をとり、天台寺門宗本山布教師等を経る。日本国並び日本人の生き方を提唱、再認識し実践とする日本大僧伽(やまとだいさんが)主宰。教育施設MAO塾経営。NPO希望塾相談役。国際地球環境大学(シンクタンク)文学博士・仏教学名誉博士。
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