<第3回>サッカーワールドカップ
一心敬礼
文月の候。読者の皆様におかれましては、恙無くお過ごしのことと存じ上げます。
近年の梅雨は局地的な集中豪雨の様相で、西日本では多くの被害がでています。そのような中に明るいニュースが舞い込んで来ました皆様もご周知のように サッカーワールドカップ、日本代表チームの 健闘振りでした。サッカーについては甚だ門外漢の私ですが、今回監督をはじめ、選手の皆さんには威風堂々とした凛々しさが感じられました。
そして彼らのフェアプレイには世界が絶賛するほどでした。結果的にはベスト16位とはいうものの、 日本人らしい侍スピリッツを感じたのは私だけでしょうか、日本代表メンバー達は文字通り凱旋帰国です私はエールを贈りました。この文章が記載される頃には、既に優勝国が決定していることでしょう。
さて日本サッカー界の貢献にはこの方の存在を抜きに語れません。岡埜栄泉五代目岡野俊一郎氏です俊一郎氏は株式会社岡埜栄泉の代表取締役であらせられながら、前々回のワールドカップ日韓共同開催時では、サッカー協会会長をなさっておられ、また東アジア初代サッカー協会会長、日本サッカーミュージアム初代館長、更には国際オリンピック委員などを歴任。スポーツにはとても造詣が深く、日本サッカー界の牽引的なお立場であり、今尚、数々の要職についておられます。
ところで、日本サッカー協会の(JFA)のシンボルマークが三本足の烏であることは皆様ご存知ですね。
日本サッカー協会がこのマークを使用した背景には、下記のようなことがあったと云われています。 「日本に初めてサッカーを紹介した那智勝浦町出身の中村覚之助氏(1878~1906)との縁が深いことから、協会設立10周年の1931年にシンボルマークとして採用され、初めて図案化されたといわれます。」 (インターネット、八咫烏と日本サッカー協会参照より)
八咫烏とは、その昔日本国が大陸や半島より倭国と呼ばれし時代、日本神話で神武東征の際に、タカミムスビノ神によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国へと道案内をしたのが三本足の烏、八咫烏だったのです。熊野本宮大社に伝わる八咫烏の紋章は、日輪の中に八咫烏が書かれておりますが、また法隆寺の玉虫の厨子にも、日輪の中に三本足の烏が描かれています。この玉虫厨子を珍重した人物こそ、日本建国の重鎮聖徳太子でした。太子は「和をもって尊しと成せ…」の思想のもと、日本国の国体を構築してきました。
太陽信仰からなる八咫烏は、日本民族の根幹でもあります。日輪の「輪= 和」の如く、日々争うことなく、「丸く」恙無きに生きる日本人の意識でもあるのです。それは甘くもなく辛くもなく、ほどよい加減の和菓子でもあります。 合掌
釈 正輪 九拜
釈正輪老師のプロフィール
1959年愛知県一宮市生まれ。正眼短期大学宗教学部禅学科卒業、佛教大学文学部佛教学科中退。梶浦逸外(かじうらいつがい)「臨済宗妙心寺派官長・正眼寺住職師家・正眼短期大学学長」、大森曹玄(おおもりそうげん)「高歩院住職・花園大学学長・鉄舟会師家」、黒田武志(くろだぶし)「横浜善光寺開山・留学育英僧会会長」、李西蓊大宗正(りさいおう)「曹渓宗白羊寺官長・高麗寺官長」の四大老師に師事、禅(臨済宗・曹洞宗)・真言・天台の三宗を兼学する。中部の霊峰高賀山で「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)を達成、大阿闍梨(だいあじゃり)となり、密教の荒行「入水往生」(じゅすいおうじょう)並びに山岳回峰「六社巡り」を復興、25年間に渡り継続する。しかし形骸化した僧界に疑問を抱き、普遍的根源を求め、世界宗教の聖地巡礼を行う。中でもヨルダン川での洗礼や、イスラームの聖地、マッカ大巡礼は偉業と言われている。更に、マザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に 触れたことが、宗教活動に大きな変化をもたらした。世界の皇室関係者や国家元首をはじめ、宗教指導者との交流も深く、特にスリランカ大菩提会会長バナガラ・ウパテッサ大僧上とは旧友の仲である。高校で教鞭をとり、天台寺門宗本山布教師等を経る。日本国並び日本人の生き方を提唱、再認識し実践とする日本大僧伽(やまとだいさんが)主宰。教育施設MAO塾経営。NPO希望塾相談役。国際地球環境大学(シンクタンク)文学博士・仏教学名誉博士。
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